kararagi’s blog

感じたことを綴っていきます。

「学習の目的と仕事の目的」これらについて考えた方が日本の将来のため

皆様、こんにちは。からラぎです。

 

私は、図書館で勉強することが多いです。

単純に家だとやる気にならないからです。

 

そんな方は周りに多いようで、学生、社会人とみんな図書館を利用していますね。

 

この間、隣に座った小学生の子供がドリルで勉強していました。

小学生のころからきちんとしていてえらいなと思い、ちらっとドリルの内容を

拝見させていただくと、、、

 

「3ケタの数字を2ケタで割って商が1ケタになる計算」

 

というタイトルの勉強をしておりました。

内容としては、

100  ÷ 50 = 2

300  ÷ 60 = 5

というように3桁÷2桁=1桁となる計算を練習していました。

少しのぞき見(!)!しただけなので、詳しい内容は見ていません。

 

だけど一体どういう内容の勉強なのかさっぱりわかりませんでした。

確かに3桁を2桁で割って1桁になる問題は存在するけれど、

だから一体なんなのでしょうか。

数字の性質として「必ず」3桁÷2桁=1桁となるならば、

概念としての理解は必要だと思います。

数学の奥行は、「不変の正解が存在すること」にあると思うので。

だけど、この見知らぬ小学生が学習していた内容は、そんなことでしょうか。

この桁数の勉強を別枠で設ける理由は、いったい何なのでしょうか。

 

もし私がこの子の立場だとするときっと混乱してしまいます。

「3桁÷2桁=1桁に必ずなる」と思い込んでしまったり、

「3桁÷2桁=1桁となるには特殊な条件があるにちがいない」と

考えなくてもいいことを深く考えてしまいます。

 

私がかつて勉強に躓いてきた理由は、こういうところにあるんだなと思いました。

 

勘違いや無駄なことに時間を割いてしまう。

勉強そのものの進行状況が悪くなってしまい、自分は落ちこぼれだと思ってしまう。

今回は例えが簡単だから、想像しにくいかもしれないが、

そういう学生は多かったのではないかと思われる。

 

要は、学習内容の学習の目的まで考えてしまうとうまくいかない。

学習だけでなく、学校という組織から与えられる教育をはじめとする

あらゆる事柄の目的を考えて仕事や勉強をしようとすると

ことごとくうまくいかないことが多かった。

 

私の前の職場の話になるが、ファイルのタイトルのつけ方に

決まりがあるものがあった。

その時に記号の「かっこ」を使用して中に日付を記載していく決まりがあった。

あくる日、本社の方から私のタイトルは全角かっこを使用しておらず、

半角かっこを使用しているので、全角かっこを使用してほしいと連絡があった。

この時私は、それはなぜなのかと問いただすと、今までそうしていたとか、

周りの人がそうしているといった理由を述べていた。

こっちは半角と全角で認識されなくなってしまうプログラム的な問題だと思っていた。

でも本社が述べた理由をまとめると「なんとなく」という感じであった。

それって要は決まりってないんでしょうが!!!!!

なんであなた方の「なんとなく」で仕事をしなければいけないのか、

理解に苦しんだが、ことを大きくしたくなかったので、その時は黙っていました。

 

だけど、無駄ってこういう小さなことの塊であると思う。

今の世の中は、何の対策もなく、「残業しないで帰れ」という命令のもと、

自宅に仕事を持って帰っている。

もし、どうすれば効果的であるか迷ってしまったなら、

日常的な無駄から省いていくことをおすすめします。

つまり、「なんとなく」でしていたことをやめてしまえばいいだけである。

 

話は少しそれてしまったが、

「なんとなくする」勉強、「なんとなくする」仕事することは、

やめても大丈夫なことが多い。

 

勉強においては学生のことから「なんとなく」していることと、

「大きな意味を持って」していることの違いはわからないことが多いと思う。

だから、考えればいい。今勉強している内容はなぜ、勉強しなければならないのか。

 

仕事においては、自己責任のもとやめていけばいい。

つまり、後から問いただされても問題ない程度にこなせばいい。

私はそうやって時間を作って、有意義な時間を過ごすことにしていた。

意識が高いのではなく、そうしないと怖かったから。

無駄なこと、やらなくていいことに費やしていく時間が、

無駄なものそのものになってしまって人生そのものが無駄になってしまうように

感じていたから。

 

だけど心の中では、きっと周りも同じように思ってくれていると思っていた。

無駄なことをしているって思いながらしているのだろうなと。

でも、会議でそれらは違っていたことが判明した。

抽象的な話になってしまうが、

「目的」を見失った「手段」に関しては、意味がないほど時間をかけて会議する。

その反面「目的」が明らかである物事の「手段」に関しては、まったく無関心である。

そう思ってしまうような場面が多かった。

 

 

でもそれらはすべて上記の算数の話に繋がってくる。

上記に記載したような教育の中で育っていくから、

日本は「目的」を見失った人が多いのではないだろうか。

 

日本の将来はあまり明るいようには感じない。